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人生で今が一番若い

私事ですが先日、祭典で篳篥(ひちりき)デビューさせていただきました。

手先が不器用な私はこれまでの人生で楽器とは縁遠く、誰もが通るであろう、ピアニカやリコーダーですら、まともに演奏できた記憶はありませんでしたし、それらの練習の時間は苦痛でした。
そんな私が篳篥という管楽器で、神事に参加することになったのは運命の悪戯なのかもしれません。

遡ることおよそ1年前。私が興味を示したことをキッカケに、義理の両親が篳篥をプレゼントしてくれました。当時は軽はずみで言ってしまったことに対する後悔と、頂いた嬉しさ、私に楽器など演奏できるのだろうかという不安が一緒に同居する何とも言えない気持ちだったことを覚えています。

不安な気持ちをよそに、しばらくの間はケースに入れたまま時が流れるのですが、ある日、祭典の場となる御宮で師匠に出会います。師はリードのような役割を持つ舌(ぜつ)の削り方から、息継ぎのタイミング、篳篥の持ち方や姿勢、唱和というリズムと、実に丁寧に時間をかけて教えてくださいました。

お陰で何とか演奏の体を成すまでに上達することができたのですが、小学1年生の時の担任の先生が、このように手取り足取り教えてくれました。当時先生は、私のピアニカの進み具合を見かねて、夜、先生が弾くピアノに合わせて弾くようにと電話越しに補習をしてくれたのです。しかし、残念ながらピアニカは上達することはありませんでした。

篳篥の練習を始めた当初、楽譜は古文書のようなもので読めず、師の言っていることも呪文のように思いました。しかし、それでも回を重ねると、古文書も読めるように、呪文も日本語として理解できるようになるから不思議です。もちろん、担任の先生も補習以外にも目をかけてくれたことは言うまでもありません。

小学1年生の私と今の私の違いは、わからないことをわかろうと、理解しようと、考え行動したことです。そして、何かをはじめるのに、遅すぎるということはないと改めて実感しました。
次回、秋の祭典にはもっと上手くなりたいと思います。

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